私にとって
今週のお題「平成を振り返る」
平成3年の11月に母が他界している。
2年8ヶ月程の入院生活だった。
逆算すると平成元年には、母にとって3箇所目の入院生活が始まったと言うことになる。
私は25歳。
短大を卒業し、人より4ヶ月遅れで会社に入った。
私に仕事を教えてくれたお姉さんは、私が19歳だったから、7歳か8歳か年上の方だった。
その仕事をしながら、私は24か25歳の時に母の介護をした。
糖尿病から失明した母は、緊急に足の太ももの所に管を入れ、透析が始まる。
私は、父がその日は、夜勤で、自分の仕事上がりの後、母の付き添いが始まった。6人部屋で、近所の人もいた。その人は、母より歳が若く、私の妹がその方の娘さんと遊んだことがあると言う縁があった。飲み物をあまり飲めない事が透析の大変さで、週3回透析をするとその後は、皆ぐったりして元気がない。そこは、車で透析に通う人もたくさんいた。
私みたいに付き添っている方も何人かいた。
2年8ヶ月の入院は、私にとって今も忘れられない体験だった。
母が平成3年に亡くなり、私はその時結婚して、上の子がお腹にいた。下の妹が高3で、お腹の子供のことや妹の事を考えていた。切迫早産で1ヶ月半入院。
上の子は、生まれて2ヶ月で保育園に行かせた。そこに入るのも、なかなか大変だった。
結局、仕事をパワハラでやめ、平成6年に主人の母が亡くなり、8年に祖母が亡くなった。
その後に今住んでいるところに引っ越した。
平成9年引っ越し。
もう20年以上住んでいる。
平成11年に下の子が生まれる。
2人とも市の幼稚園に通う。
月謝が安い。
だが、何でも親がしないといけない幼稚園。
お遊戯会も係だけでなく、親も舞台に上がるのだ。運動会もゆっくり見ると言う感じではない。子供達が走ったり、踊ったりする運動場の整備も親がするのだ。
でも、不思議とその頃のお母さんたちとは今もスーパーで会うと長く話は尽きない。
もうすぐ平成は、終わる。
自分の両親や夫の両親を看取る平成だった。
私は、これから、その親たちが年齢を重ねて老いていった過程を辿る。
私の父のようにやりたいことをやる。
でも、お金はなるべくかからないようにして。
後は、健康は自分で管理する。
病院任せにはしない。
下の子も後10年したら、29歳か30歳になる。
色々な体験をし、私達夫婦も地域に根ざしながら、兄弟とも繋がり、空き家になっている実家も何とかなっていると思う。
お墓まいりだけは、欠かさずに来て、上の子も下の子もお墓まいりは、当たり前のようにする。
先祖があって私たち子孫はいるわけだから。
平成の終わりに上の子も帰省する。家族全員でまたお墓まいりをし、夫のお気に入りの車に乗ってドライブしたい。
ちょうど下の子の着物のお直しか出来たと言う知らせを受けた。
そこのご主人が、今は仕事と自分の好きなこととバランス良く過ごされて。
習い事なども楽しんでおられる。
60代70代になり、そういう風に生きる方が増えてきたような気がする。
私の父もそう言う風にあまり子供と一緒に過ごすと言うよりも、習い事や友人との旅行を60代や70代は楽しんでいた。
だから、沢山の楽しい写真が残っていて、お葬式にどれを選べばいいか迷うほどだった。
アロハシャツを着て、帽子をかぶって笑顔の写真が遺影になった。
夫の父は、次の日からディサービスに行くんだった。
次の日、自宅で亡くなった。
70代まで仕事をし、手先が器用で料理もじぶんでし、月一の食事会が地域であり、そこに歩いて毎回行っていた。
そう言う親の姿を見てきて、いつか自分も老いて、そう言う風になると言うことは分かっている。
だから、友人ともそれなりに繋がり、近所にも親しい人もいる。
祖母達の世代がおかずを余分に作って近所の人に配ってお互いに存在を気にしながら、あまりづかづかはいりこまない感じで年齢をこれからも重ねていきたい。