旅行

今週のお題「○○の秋」

 

先月末頃から沖縄へ行った。

 

家族で行くのは、3回目。

 

夫は、先月台風の為、延期となったツーリング

 

の一泊旅行に今月福岡方面へ行く。

 

そして、11月は、上の子の所に行くがてら、同

 

じ県に住む叔母が昨年年賀状を年齢も年齢なの

 

で辞めますと言うお葉書をいただき、また、そ

 

れまでは、叔母の実家があって、年に数度帰省

 

していたが、縁あって、売却され、もうこちら

 

の方へは、訪れる事はない。

 

今までのお礼も兼ね、一度も訪れたことのない

 

実妹も、一緒に行きたいと言うので、もしかし

 

たら、その兄である、真ん中の弟も行くかもわ

 

からないが。

 

 富士山を拝めるといいな。

良くわからないけど

今週のお題「理想の老後」

 

子供2人がそれぞれの家庭を持ち、私達夫婦は

 

、長生きして2人の子供達の行く末を見守りな

 

がら、健康でいる事だろうか。

 

とは、言っても、いずれどちらかが先に逝く。

 

たまたま昨日の事だ。

 

子供の病院に付き添い、その日は、初めて行く

 

整形外科だった。

 

昔、ママ友に教えてもらって行ったのだか、待

 

つ間に、全く知らない高齢の男性が知り合いと

 

思しき男性に声をかけた。

 

聞くとは無しに聞いていた。

 

その男性は、まさか妻が先に逝くとは思わず、

 

畑作りに精を出していたのも、一時期控える

 

くらい、まず、家事をしなくてはならない。

 

洗濯に買い物、今迄妻が全てやっていた事を始

 

め、こうなって初めて妻の有難さが分かったそ

 

う。

 

ここの整形外科に来るまで、他の病気も見つか

 

り、そこで痩せるよう言われたとか。

 

やっと最近家事の段取りも分かり、畑も少しず

 

つ再開したとか。

 

良くわからないけど、2人で生活する事が当た

 

り前になり、感謝の気持ちもなく、惰性で生き

 

ていて、空気のような存在だった相方が突然い

 

なくなるって、考えても、想像しかわからない

 

 

義父も、70歳で1人になり、器用な方だったが

 

夕暮れになると淋しいと言っていた。それから

 

80歳迄生きた。

 

一緒に車に乗り出掛けたり、新幹線で出掛けた

 

 

 

その頃も少しずつデーサービスなどの施設が出

 

来てきたが、今もっと増えた。

 

良くわからないけど、自分で出来る健康に関す

 

る事やホットヨガでも話をするヨガ友も出来そ

 

う。

 

9ヶ月になり、やっと友達を作る本来の私がい

 

る。

 

夫も今週末仲間と一泊でツーリング。

 

私は、娘も好きなカラオケに毎月週2日は、行

 

っている。

 

今、izoneと言う韓国人9人、日本人3人のK-

 

POPグループが共同生活している姿や歌やおし

 

ゃべりの様子が微笑ましくて、まだ、カラオケ

 

では歌えないけど。

 

ダンスはキレキレ、皆若いけど、日本人の子達

 

が、日本での番組の時に通訳ではないけど、同

 

時通訳みたいなことできて。

 

私10年習ったけど、パッチムの発音が下手だと

 

思う。

 

そう言うもともと韓国語に関連するK-POPだか

 

らなのか、興味があり、毎日このところ、ラビ

 

アンローズと言う曲のYouTubeを見ている。

 

泊りがけの家族旅行も毎年行きたいから、お金

 

をもっと稼ぎたい。公民館の習い事も一つまた

 

やりたい。ホットヨガと出来ればプールで泳ぎ

 

たい。

 

あまり無理はしたくない。

 

実家の空き家もカタをつけ、そのお金で、葬式

 

代になる分の払いを済ませ、たまには、友人と

 

も遊びたい。

 

明治生まれの祖母は、認知症になるまでは、と

 

にかくコツコツと動いていた。母は、愚痴は言

 

わず、自分の健康よりも、身内の為に生きた。

 

父は、自由人。でも、憎めなくて、話もそれな

 

りに聞くから、意外に人から嫌われなかった。

 

義父は、器用な人。認知症になったけど、言う

 

事はしっかり言って仕事熱心な人。義母は、動

 

くけど、人に甘えられず、でも、最後まで潔く

 

夫を愛し続けた人。

 

そう言うお手本を見ていて、良くわからないけ

 

だ、私は、課題があるので、長生きしなくては

 

いけない。

 

その課題と日々向き合って、また、上手くいな

 

しながら、出来れば、老衰で自宅で生き絶えた

 

い。

 

子供達は、悲しんだ後、また、私自身の生き方

 

も、反面教師にして、自分の生を全うして欲し

 

い。

 

 

のんびりとした日

今日は、朝から、テレビを見て、いつになくの

 

んびりとした日だ。

 

本当は、朝から私と夫の実家のお墓参りをする

 

予定だった。

 

子供が昼寝をし、夫も、草が伸びた我が家の庭

 

を草刈り機でして、私は前々から食べさせたか

 

った釜飯のデリバリーを貯まったポイントで頼

 

む。

 

昼前に来たが、寝ていた子供は、匂いに誘われ

 

「食べて良い?」とそれも珍しく、「良いよ」

 

と言うと、さっさと食べ始める。

 

少食な子供からは、珍しい「美味しかった」と

 

言う言葉に少し嬉しくて。

 

私も一緒に食べ、たぶん1年ぶりくらいかなぁ

 

 

少食な夫には「やっと食べきった」と言いつつ

 

「美味しかった」と皆完食。

 

そして、娘は、本当にまた寝た。夫もテレビを

 

見ながら寝落ち。

 

私は、準備万端だったが、裾の長いズボンを以

 

前もまつったのだが、また2センチほどまつり

 

縫い。

 

最近、ミシンではなく、手縫い。

 

明治生まれの祖母が新学期孫たちが持っていく

 

雑巾も手縫いだったが、手縫いだと融通がきい

 

て、間違っていたらすぐ解いてやり直せば良い

 

し、改めて、運針とか練習になる。

 

家庭科は嫌いだった。

 

だけど、宿題で課題として出すわけでもないし

 

、自分が毎日着やすいように縫えば良いわけだ

 

から、本当に手縫いって良いなあ。

 

 

 

 

 

 

自家用車

今週のお題「わたしと乗り物」

お盆で帰省する子供を待ったり、空港まで送っ

 

ている真っ只中。

 

自動車免許を子供が取得するまでは、もっぱら

 

往復の自家用車の運転をしていたが、今は、送

 

っても、空港までは、子供の運転で私は家路に

 

着くまでになった。

 

大体今は、帰省している間は、私が用があり、

 

1人若しくは下の子と2人で出かける以外は、私

 

は、運転から解放された。

 

家族4人の遠出でも、同じで、以前は車好きの

 

夫の仕事だった運転がほぼほぼ、子供の運転に

 

変わった。

 

夫は、自慢の愛車なのに、往復運転しなくなっ

 

て、疲れも無く、また、嬉しそうにしている。

 

夫は、バイクも好きで、子供が帰省すると2人

 

でツーリングに出かけていた。今回子供からは

 

その話が出ていたが、寄る年波には、勝てず、

 

今は、買って半年の自家用車の方が愛着があり

 

、天気や体調の関係か、全くツーリングの話は

 

出ず。

 

今日も、お墓参りに行く為、高速を使い、高速

 

から出た信号のところで、我々は直進で青にな

 

り、いざソロソロと車を走らせようとしたら、

 

いきなりオートバイが右から出て目の前を通り

 

過ぎようとし、急ブレーキ。寝ていた下の子も

 

起きるほど、全力でブレーキをかけた。

 

私は、それを始めから見ていた。運良くぶつか

 

らず、通り過ぎた女性は、頭をコクリと下げ

 

た。

 

高速に乗る前に夫の方のお墓参りをしており、

 

私は、祖先が守ってくださったと思った。

 

そして、私の実家のお墓参りもして、お礼を

 

言って帰ってきた。

 

ぶつかっていたら、そのオートバイと私達の車

 

だけで無く、他にも被害が及んでいただろう。

 

日頃の足になり、便利なのは、分かるが、歳を

 

とればとるほど判断力は鈍くなる。

 

高齢者の事故が悲惨な状況を次々起こしている

 

のは、その女性も百も承知なはず。

 

自分だけは大丈夫と言うのは、通じなくなるの

 

は、時間の問題かも知れない。

 

私も、今日の事故寸前だった今日の事を肝に命

 

じ、運転には最善の注意を払うようにしたい。

 

 

 

 

 

 

 

今週のお題「おとうさん」

7年前に他界した父は、百貨店の地下が好きだった。

たまたま友人が高齢のお父さんを車椅子に乗せてスーパーで遭遇した。

施設に入っていると聞いていたが、明日が父の日なので、2人でスーパーに出かけてきたのかもしれない。

私の方を振り返ることはいっさいなかった。

久しぶりに娘とスーパーに来られて嬉しかったに違いない。

私の父と同じ日に、お母さんが亡くなって、7年どんなにショックだったことだろうか。

これから、2人で旅行や温泉に行こうと考えておられたのかもしれない。

お母さんは、短大の時の洋裁の宿題で自宅におじゃまさせていただき、お会いしたことがあった。シャキシャキした方で、娘である友人は、見かけとは違い、編み物など上手かったのは、あのお母さんの洋裁の手際の良さに一目瞭然だった。

私の父は、仕事を辞めてから、公民館講座で、多くの友人を作り、父の日だからと家にいるタイプでも無く、韓国や東北などに友人と旅行に出掛け、あまり家にいた試しがない。

返納する前に車もバイクも乗らなくなり、バスやJRで1人朝ご飯を食べに行ったり、公民館講座に行ったりして、新しい友人を次々作って、野菜を頂いて、私の家の玄関にポンと置いて帰って行く人だった。

だから、本当に1人で出歩かなくなっても、その時の友人がいて、買い物に行ってくれたり、家の中に洗濯物を干せるようにしてくれたり、細々と世話を焼いてくれる人まで見つけるような稀有な才能があった。

最後の病院でも、早く退院したくて、苦手ではない人前で話をする機会があり、車椅子でそれこそ父は原稿も頭の中に入れ、堂々と話をした。その時の衣装を持ってくるよう言われ、社交ダンスで着た派手なシャツを何枚か持って行った。

毎日リハビリをして、入所した時は、車椅子から便器にヒョイと移れなかったが、リハビリのおかげで、歯医者に連れて行った時初め行った時と後半では全く違った。

筋肉は、高齢でも鍛えられることを父は証明した。

家に戻り、好きな焼酎を飲みたかっただろう。

真面目ではない父だから、最期まで病院の中でも、看護士さんやリハビリの担当の方とも冗談を言って笑わせ、楽しく過ごしたことが亡くなる時の清拭をされた看護師さんの方の話から伝わってきた。

私は、お金は無かったが、周りの人にいろいろな楽しさを与え、最期まで家族と寄り添うことよりも、他人との関係の中で絶妙な距離感を取って生きた父を今 思い出している。

 

ラジオ

今週のお題「雨の日の楽しみ方」

カーステレオがある日CDが入ったまま取り出せなくなった。

ちょうど車検で頼んだら、壊すしかなく、中のCDに傷が付くと言われた。

 

そして、久しぶりに、地元のラジオ局の番組を聴くようになった。

 

小学校の頃、幼なじみの女の子の家から必ずと言っていい程、テーマ曲に乗ってラジオ番組が始まった。竹藪の中にある一軒家のお家だった。

しかし、そこからほどなくして、同じ地域の他の場所に引っ越した。

このラジオ番組を私は車の中で最近よく聴いている。

必ずリクエスト曲もかかり、娘が、色々な曲が聞けていいねという。

私は、このラジオ番組にリクエスト曲を書いてハガキで出してみたいと思っている。

高校生だったか、私は別のラジオ番組でこのパーソナリティーに読んでもらった事があるのだ。

30年以上も前の話だ。

その頃からのリスナーの方々が、良く読まれている。

懐かしい曲が流れる。

このパーソナリティーの方は、ご兄弟も同じ仕事らしい。

企画で毎週兄の〇〇です。とか弟の〇〇ですとか言われるのだ。

お二人とも郷里を離れ、違う土地でお仕事をされているが、私は、本当に良いお年の取り方をされ、仲良くされている姿を見て、私達三兄弟は、どうだろうかとふと考えてみた。

 

弟さんの方が最近、還暦を迎えられ、そのお兄様ということだから、5歳くらい違うという話なので、65歳である。

私達兄弟は、あまりこのご兄妹の様に、お話をしていない様に思う。

最近子供の関係で知り合った方もご兄弟で同じ仕事をしていた。

親の育て方なのか、何なのか良くはわからない。

ラジオとはかけ離れた話になってしまったが、私はテレビもあまり見なくなり、ラジオを聴く様になり、ニュースなどもよくわかる様になった。

耳から入ってくる情報は、本当に頭の中に良く入ってくる。

運転にもちろん注意は怠らず、ラジオをこれからも楽しみたい。

娘とのランチ

2年ぶりに韓国料理屋でお昼を取ることにした。

12時ごろ着くとそこの店のお姉さんが外に植えてある野菜を少し収穫していた。

今日は予約がたくさん入っているらしく、中に入るとテーブルの上に韓国料理がセッティングされていた。私と娘は、日替わりランチにした。

豆もやしのナムルや千切り大根のキムチや鳥の唐揚げにコチュジャンの甘いタレがかかった物などの6品にみそ汁と韓国ドラマに出てくる銀の器にご飯が盛られ、銀のスプーンと銀の箸。

隣のお客さんとの距離も近く、その人は、韓国ドラマを見ているらしく、器が韓国ドラマに出てくるやつと同じだと感激しながら、チゲのスープを吸うとむせていた。

娘がいつもよりとても早いスピードで平らげた。

私は、お姉さんのところに膳を下げ、いくらかと聞くと以前より50円値上がりしていた。

ここに初めて連れてきてくれたのは、習い事の韓国語の先生で3月は韓国に戻っていて会えなかったので、お姉さんに先生のことを聞いた。

3月の話とは少し違って、今も先生は韓国語を教えているらしく、あまり長くは帰省していなかったらしい。

お姉さんも韓国の方で日本語の微妙なところは、聞き間違いがあり、あえてそこは突っ込まない。

2年前にここに娘と食べにきたことや先生の講座に娘を連れて行ったことがあって、その頃娘は小学生で耳から入った韓国語で先生に褒められた話などすると、お姉さんは、彼女の日本語と同じだと感じたようだ。

立ちながらコーヒーを勧められ、娘と飲んだ。

帰りがけ、お姉さんは図書館への近道を教えてくれた。ごちそうさまの発音を聞き、チャルモゴッスミダ

マシッソヨ

と言って私は娘と図書館の方へ。

コーヒーは苦手だったが飲んだという娘の話を聞きながら、初めて通る図書館への近道を知り、少し嬉しくなった。

本当に近道だった。

先生のお元気な事も分かり、また、一緒に習っていた友人やたまたま同じ先生だった近所の奥さんにも聞いてみたいと思う。近所の奥さんも先生に会うと言っていたから。

先生もこの韓国料理店のお姉さんも日本人のご主人と結婚して、何十年も日本で苦労して生活しているのだ。

それが偉いと近所の奥さんがしきりに褒めていた。

言葉もあまりわからないまま、今も微妙な言葉の聞き取り間違いはあっても、毎日こうしてお仕事をしているわけだし。

3月に会えなかった先生にも会いたくなった。