今週のお題「おとうさん」

7年前に他界した父は、百貨店の地下が好きだった。

たまたま友人が高齢のお父さんを車椅子に乗せてスーパーで遭遇した。

施設に入っていると聞いていたが、明日が父の日なので、2人でスーパーに出かけてきたのかもしれない。

私の方を振り返ることはいっさいなかった。

久しぶりに娘とスーパーに来られて嬉しかったに違いない。

私の父と同じ日に、お母さんが亡くなって、7年どんなにショックだったことだろうか。

これから、2人で旅行や温泉に行こうと考えておられたのかもしれない。

お母さんは、短大の時の洋裁の宿題で自宅におじゃまさせていただき、お会いしたことがあった。シャキシャキした方で、娘である友人は、見かけとは違い、編み物など上手かったのは、あのお母さんの洋裁の手際の良さに一目瞭然だった。

私の父は、仕事を辞めてから、公民館講座で、多くの友人を作り、父の日だからと家にいるタイプでも無く、韓国や東北などに友人と旅行に出掛け、あまり家にいた試しがない。

返納する前に車もバイクも乗らなくなり、バスやJRで1人朝ご飯を食べに行ったり、公民館講座に行ったりして、新しい友人を次々作って、野菜を頂いて、私の家の玄関にポンと置いて帰って行く人だった。

だから、本当に1人で出歩かなくなっても、その時の友人がいて、買い物に行ってくれたり、家の中に洗濯物を干せるようにしてくれたり、細々と世話を焼いてくれる人まで見つけるような稀有な才能があった。

最後の病院でも、早く退院したくて、苦手ではない人前で話をする機会があり、車椅子でそれこそ父は原稿も頭の中に入れ、堂々と話をした。その時の衣装を持ってくるよう言われ、社交ダンスで着た派手なシャツを何枚か持って行った。

毎日リハビリをして、入所した時は、車椅子から便器にヒョイと移れなかったが、リハビリのおかげで、歯医者に連れて行った時初め行った時と後半では全く違った。

筋肉は、高齢でも鍛えられることを父は証明した。

家に戻り、好きな焼酎を飲みたかっただろう。

真面目ではない父だから、最期まで病院の中でも、看護士さんやリハビリの担当の方とも冗談を言って笑わせ、楽しく過ごしたことが亡くなる時の清拭をされた看護師さんの方の話から伝わってきた。

私は、お金は無かったが、周りの人にいろいろな楽しさを与え、最期まで家族と寄り添うことよりも、他人との関係の中で絶妙な距離感を取って生きた父を今 思い出している。